Inawashiro Tourist Association

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猪苗代・磐梯を遊ぶ 史跡

亀ヶ城公園

亀ヶ城公園
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磐梯山南麓の泥流地形突端部に築かれた平山城で、中世この地を支配した猪苗代氏代々の居城でした。戊辰戦争によって建物等は焼失してしまいましたが、明治時代に整備され今ではお城山公園と呼ばれて町民の憩いの場になっています。頂上に米国アラメダ海軍航空隊基地協会より日米友好の証として寄贈された野口英世の胸像があります。

お問い合わせ先:猪苗代町商工観光課

TEL:0242-62-2117 FAX:0242-62-5175

URL:http://www.town.inawashiro.fukushima.jp/

旧山内家住宅(町指定重要文化財)

旧山内家住宅(町指定重要文化財)
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十二間の桁に梁ゆき五間余り、会津藩制時代の農家住宅としては村役人層の住宅で、当時の農家機能や形態を知る上で重要な建物です。祝儀帳によると、文化8年(1811)11月の建築で約180年前の建築で直屋・寄棟造・茅葺の構造になっています。昭和47年(1972)砂川の山内一乃家より寄贈を受け、同48年(1973)現在地に移築復元しました。積雪等の適応を考慮して完全な原形復元はしていません。

お問い合わせ先:猪苗代町公民館

TEL:0242-62-2021 FAX:0242-63-1370

URL:http://www.town.inawashiro.fukushima.jp/kouminkan_hp/

会津藩主・保科正之の墓(国指定史跡)

会津藩主・保科正之の墓(国指定史跡)
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保科正之は徳川2代将軍秀忠の第4子として生まれ、信州高遠藩主、出羽最上藩主から会津藩主となりました。亡くなる前年に会津入りした正之は猪苗代湖を一望できる磐梯山麓の地に自らを葬るよう命じました。土津神社の右側の杉木立のある石畳の道を登ると墓のある奥の院があります。

お問い合わせ先:(社)猪苗代観光協会

TEL:0242-62-2048 FAX:0242-62-2939

田中正玄の墓

田中正玄の墓
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田中正玄は保科正之公の重臣であり、会津藩の家老を34年間、猪苗代城代を5年間務め藩の基礎を固めた人です。慶長18年(1613)6月17日佐渡に生まれ、6歳で信州高遠で正之公に仕えた後、累進して家老となりました。正之公が江戸で4代将軍家綱の補佐にあたられたので、その留守の間会津藩の執政を預かって大きな功績を挙げました。寛文12年(1672)5月28日に病で没した時には正之公はじめ城下の諸氏庶民は親を失った如く嘆き悲しんだといいます。

お問い合わせ先:(社)猪苗代観光協会

TEL:0242-62-2048 FAX:0242-62-2939

服部安休の墓

服部安休の墓
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織田信長の小姓森蘭丸の孫で、元和5年(1619)江戸に生まれ、幼くして林羅山について朱子学を修めました。保科正之公に仕え、寛文4年(1664)正之公の命で神道の大家吉川惟足から神道を学び、土津神社初代神官となりました。日本古来の神道を会津にもたらし、その普及・発展に大きな役割を果たしました。遺言により主君正之公の墓地がある見祢山の麓に葬られました。

お問い合わせ先:(社)猪苗代観光協会

TEL:0242-62-2048 FAX:0242-62-2939

五輪塔(町指定重要文化財)

五輪塔(町指定重要文化財)
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大小6基の五輪塔です。五輪塔とは下部から方形・円形・三角形・半月形・団系(空・風・火・地・水)を積み重ねた塔をいいます。この五輪塔の中で一番大きいものは高さ3mあり、猪苗代城の最後の城主十四代猪苗代盛胤の遺徳を偲び、百目貫村の臼井平右衛門が願主となって地方の人々に呼びかけて、明暦4年(1658)7月5日に建立したものです。他の五輪は小さく、家族のものといわれています。この5基はもともと今の位置から50mほど南の旧二本松街道筋にあったものを、昭和41年(1966)国立磐梯青年の家建設の際現在地に移されたものです。

お問い合わせ先:猪苗代町生涯学習課

TEL:0242-62-5688 FAX:0242-62-2451

十六橋

十六橋
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猪苗代湖に流れ込む川はたくさんありますが、流れ出る川は安積疎水ができるまでこの十六橋を通って会津盆地へと流れる日橋川だけでした。文化6年(1809)に完成した「新編会津風土記」によれば空海が流れの中に塚を築き丸太を架けて十六断の橋としたのが初めとされています。現在のものは大正初期のストーニー式の水門です。橋の西側には安積疎水の設計者であるオランダ人技師ファン・ドールンの銅像と戸ノ口水門事務所があります。

お問い合わせ先:(社)猪苗代観光協会

TEL:0242-62-2048 FAX:0242-62-2939

三忠碑(町指定史跡)

三忠碑(町指定史跡)
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天正17年(1589)旧暦6月5日、伊達政宗は宿願の芦名の所領会津を攻略すべく磨上原に軍を進めました。この地の戦いに芦名義広の家臣金上盛備、佐瀬種常、その子平八郎常雄の三士は主君の危急を救いましたが戦士しました。その忠誠のさまを後世に伝えるため、九代会津藩主松平容敬公が嘉永3年(1850)に建立したものです。碑文は会津の儒者高津泰の撰により、全文437文字を唐の書家顔真卿の書体を集めて刻んだもので、まれな句碑文として貴重なものです。

お問い合わせ先:(社)猪苗代観光協会

TEL:0242-62-2048 FAX:0242-62-2939

三方石

達沢大山祇神社社叢(県指定天然記念物)
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湖畔の森にある「三方石」と呼ばれるこの大きな自然石には、国指定重要文化財「天鏡閣」の建設と命名の由来が書かれた「天鏡閣記」全文が刻まれています。有栖川宮威仁親王殿下の没後、大正9年(1920)に威仁親王妃慰子殿下は、同殿下のご遺志に基づき天鏡閣北側の小高い山の上にある「三方石」と呼ばれるこの自然石に、内大臣秘書官日高秩父の書による「天鏡閣記」を刻ませられました。

お問い合わせ先:国民宿舎翁島荘

TEL:0242-65-2811 FAX:0242-65-2856

URL:http://www.tif.ne.jp/soumu/okinazima.htm

旧二本松街道

旧二本松街道
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近世における楊枝峠経由の若松城下と本宮宿との間の街道を二本松領内では「会津街道」、会津領内では「二本松街道」といいました。主要道として賑わっていた旧街道に代わって明治25年(1892)新県道が開通したことにより、旧道は衰退の一途をたどりました。三忠碑付近の松並木は街道跡として良好な状態で残っており、当時の面影がうかがえる貴重な場所です。

お問い合わせ先:(社)猪苗代観光協会

TEL:0242-62-2048 FAX:0242-62-2939

御上覧場一里塚(町指定史跡)

御上覧場一里塚(町指定史跡)
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会津における一里塚は、寛文7年(1667)から造れらるようになりました。塚の上に榎を植えたので榎壇とするところもあります。この一里塚は若松から行程5里、二本松街道沿いの不動集落の上部に位置します。また、付近(三忠碑近辺)に往時街道並木に植えられた古い赤松の木が残っています。昔日の交通のあり方を知る上で楊枝一里塚と共に貴重な存在です。

お問い合わせ先:(社)猪苗代観光協会

TEL:0242-62-2048 FAX:0242-62-2939

釜井の板碑(町指定文化財)

釜井の板碑(町指定文化財)
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正和2年(1313)癸丑の紀年が記されています。ヤゲン彫(溝がV字形の彫り方)の手法で、左右に真言密教の金剛界大日如来(バン)と無量寿如来(阿弥陀・アン)の仏の種子を蓮華座に載せてあります。板碑は追善供養のために建立されたもので、起因は鎌倉・室町時代とされていますが、釜井の板碑は鎌倉期の後代に属します。島田の板碑と並んで供養塔として貴重な価値を有する存在です。

お問い合わせ先:(社)猪苗代観光協会

TEL:0242-62-2048 FAX:0242-62-2939

島田の板碑(町指定文化財)

島田の板碑(町指定文化財)
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この板碑は島田の墓地に建立されています。この碑は嘉元3年(1305)に建てられたもので、ヤゲン彫の手法で追善供養のために金剛界大日如来(バン)・阿弥陀如来(キリーク)の梵字を蓮華座に祀ってあります。大きさは他に類を見ないほどのものです。板碑は鎌倉時代末からの動揺する社会不安の中で生み出された中世の人々の心からの祈願の信仰であって、今に伝える貴重な文化遺産です。

お問い合わせ先:(社)猪苗代観光協会

TEL:0242-62-2048 FAX:0242-62-2939

弁慶の硯石

弁慶の硯石
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土田地区の墓地から西150mぐらいのところに「硯石」があります。義経が平泉に行く途中、ここの自然の美しさを賞するために弁慶がここで墨をすったとも、また一説では義経たちがここまで来た時にはすでに金も食料もなく、この地の大金持ちから借金をした時の借用書を書くのに使われたともいわれています。この硯石の水は常に涸れたことがありませんでしたが、明治になってある人が隅を壊してしまい今では水がたまらなくなったとのことです。

お問い合わせ先:(社)猪苗代観光協会

TEL:0242-62-2048 FAX:0242-62-2939

安積疎水

安積疎水
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オランダ人技師ファン・ドールンが明治5年、日本政府の招きで来日、猪苗代湖の湖水を自然の落差を利用して52kmを導き安積疎水を作りました。当時は不毛の地であった安積平野をうるおし、現在の郡山市発展の基礎となりました。現在の安積疎水は新たに取水口が作られて水力発電にも利用されるようになり、その電力は首都圏に送られています。

お問い合わせ先:(社)猪苗代観光協会

TEL:0242-62-2048 FAX:0242-62-2939

楊枝一里塚(町指定史跡)

楊枝一里塚(町指定史跡)
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一里塚とは街道で一里ごとに道の両側に土を盛り、榎などを植えて距離を示す目印とした塚のことで、江戸幕府によって全国に設置されました。楊枝一里塚は若松札ノ辻を起点として八番目で会津領と二本松領の境にあたり旧二本松街道にあります。この街道は楊枝峠を越えて中山・横川・苗代田・二本松・本宮に出る街道です。現在道の両側に一対で完全な形態を残すのはここと御上覧場一里塚だけどなっていて、陸上交通史上貴重な史跡的価値の高いものです。

お問い合わせ先:(社)猪苗代観光協会

TEL:0242-62-2048 FAX:0242-62-2939

鹿島神社宝篋印塔(町指定重要文化財)

鹿島神社宝篋印塔(町指定重要文化財)
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宝篋印塔は塔身・笠・相輪からなる方形の一重の塔で、その名前は内部に「宝篋印陀羅尼経」を納めたことに由来しているといいます。この宝篋印塔は形態は美しく均整のとれたもので、大きな特徴は基礎の上三段、笠の下三段と隅飾と軒とが明確な区別をもって造られていることです。建造の年代、建造者の名前などを読み取ることはできませんが、形状から県指定の観音寺宝篋印塔と同年代で応永年代(1394〜1428)のものと推定されます。

お問い合わせ先:(社)猪苗代観光協会

TEL:0242-62-2048 FAX:0242-62-2939

麓山神社左右大臣一対(町指定文化財)

麓山神社左右大臣一対(町指定文化財)
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この二体の石像は向かって右が左大臣菅原道真公、左が右大臣藤原時平公で、江戸中期の建造物です。当地方において石造による左右大臣は珍しく、保科正之公が信州高遠より会津に移封した際石工を伴って来たことを証明するものであり、歴史的にも貴重なものです。また、願主や施主の名から猪苗代地方の麓山信仰の深さを物語るものでもあります。

お問い合わせ先:(社)猪苗代観光協会

TEL:0242-62-2048 FAX:0242-62-2939

猪苗代兼載の碑

猪苗代兼載の碑
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兼載は猪苗代少輔盛実の子として享徳元年(1452)猪苗代湖畔小平潟に生まれ、幼くして仏門に入り法号を興俊と呼びました。やがて京都に出て39才の若さで連歌師として最高の北野連歌会所奉行・宗匠の栄職につきました。その後京都を離れ岩城大館を中心に会津・岩代・下野・上野にわたり活躍しました。永正6年(1509)に病気治療のため古河に行きましたが、翌永正7年(1510)に古河で没しました。 『さみだれに 松遠ざかる 州崎哉』 これは故郷の風景を詠んだ名句です。

お問い合わせ先:(社)猪苗代観光協会

TEL:0242-62-2048 FAX:0242-62-2939

観音寺山門(町指定重要文化財)

観音寺山門(町指定重要文化財)
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明治20年(1887)8月の火災で縁起などの文書が焼失したため、山門建立の詳細は不明になっていますが、入母屋形式の山門で正面に唐破風をつけた様式を残しており、江戸初期の建立と思われます。特に欄間の浮き彫りの手法や柱の彫刻などには桃山建築の様式がうかがわれます。

お問い合わせ先:(社)猪苗代観光協会

TEL:0242-62-2048 FAX:0242-62-2939

平盛胤の墓(町指定史跡)

平盛胤の墓(町指定史跡)
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亀ヶ城最後の城主十四代猪苗代盛胤の墓です。父盛国が伊達政宗に寝返ったにもかかわらず、嫡子であった盛胤は一貫して会津芦名方でした。伊達軍と芦名軍の摺上原の戦に参戦した盛胤は深手を負い横沢(郡山市湖南町)へ行きました。その後内野で77才の生涯を閉じました。この盛胤の墓は内野部落に、またその遺徳を慕って臼井平右衛門らが建立した五輪塔は国立磐梯青年の家のすぐ下にあります。

お問い合わせ先:(社)猪苗代観光協会

TEL:0242-62-2048 FAX:0242-62-2939

観音寺石造宝篋印塔(県指定重要文化財)

観音寺石造宝篋印塔(県指定重要文化財)
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この塔は観音寺の本堂前にあり、総高1.18mの安山岩の石塔です。相身と塔身は本来この塔のものではなかったといわれるので全体像は明らかでないが、古型で重厚さがうかがわれます。塔身の正面には右に「應永十八年(1411)十月吉日」、左には「三十三年忌唯明為」、別面には「川桁山主□□白」の銘文があります。本塔は会津の東部に盛行した宝篋印塔を知る好資料であり銘文は地方史の重要な資料として大変貴重です。

お問い合わせ先:(社)猪苗代観光協会

TEL:0242-62-2048 FAX:0242-62-2939