史跡 猪苗代三十三観音札所 文化庁より「会津三十三観音」が日本遺産に平成28年4月25日に認定されました。 亀ヶ城公園 磐梯山南麓の泥流地形突端部に築かれた平山城で、中世この地を支配した猪苗代氏代々の居城でした。 旧山内家住宅 十二間の桁に梁ゆき五間余り、会津藩制時代の農家住宅としては村役人層の住宅で、当時の農家機能や形態を知る上で重要な建物です。 田中正玄の墓 田中正玄は保科正之公の重臣であり、会津藩の家老を34年間、猪苗代城代を5年間務め藩の基礎を固めた人です。 服部安休の墓 織田信長の小姓森蘭丸の孫で、元和5(1619)年江戸に生まれ、幼くして林羅山について朱子学を修めました。 五輪塔 大小6基の五輪塔です。五輪塔とは下部から方形・円形・三角形・半月形・団系(空・風・火・地・水)を積み重ねた塔をいいます。 十六橋・安積疎水 猪苗代湖に流れ込む川はたくさんありますが、流れ出る川は安積疎水ができるまでこの十六橋を通って会津盆地へと流れる日橋川だけ … 三忠碑・旧二本松街道 天正17(1589)年旧暦6月5日、伊達政宗は宿願の芦名の所領会津を攻略すべく磨上原に軍を進めました。 御上覧場一里塚 会津における一里塚は、寛文7(1667)年から造れらるようになりました。 釜井の板碑 正和2(1313)年癸丑の紀年が記されています。ヤゲン彫(溝がV字形の彫り方)の手法で、左右に真言密教の金剛界大日如来(バン)と無量 … 島田の板碑 この板碑は島田の墓地に建立されています。この碑は嘉元3年(1305)に建てられたもので、ヤゲン彫の手法で追善供養のために金剛界大 … 楊枝一里塚 一里塚とは街道で一里ごとに道の両側に土を盛り、榎などを植えて距離を示す目印とした塚のことで、江戸幕府によって全国に設置さ … 麓山神社左右大臣 この二体の石像は向かって右が左大臣菅原道真公、左が右大臣藤原時平公で、江戸中期の石像です。 猪苗代兼載の碑 兼載は猪苗代少輔盛実の子として享徳元年(1452)猪苗代湖畔小平潟に生まれ、幼くして仏門に入り法号を興俊と呼びました。 観音寺山門 明治20(1887)年8月の火災で縁起などの文書が焼失したため、山門建立の詳細は不明になっていますが、入母屋形式の山門で正面に唐破 … 平盛胤の墓 亀ヶ城最後の城主十四代猪苗代盛胤の墓です。 三方石 湖畔の森にある「三方石」と呼ばれるこの大きな自然石には、国指定重要文化財「天鏡閣」の建設と命名の由来が書かれた「天鏡閣記 …