野口英世のふるさと

野口英世は明治9(1876)年11月9日、猪苗代町(当時は三ツ和村)三城で農家の長男として生まれ、清作と名付けられました。火傷で左手が不自由となり家業である農業はできないため、家は貧しかったのですが小学校や高等小学校を出て、さらに医師になるための勉強をしました。英世にとって故郷は、生涯にわたり忘れられないところでした。町内には英世ゆかりの地が多く残されています。

左の写真はアメリカ人ルーミスが英世の恩師小林先生に贈ったもので、清作が通っていた当時のものです。世界に飛び立つ前、清作は猪苗代で素養と知識を育みました。

ノーベル賞候補までなって世界の医学者となった英世は、大正4年(1915)両親や恩師、友人らの待つ故郷の土を踏みました。猪苗代での日々は懐かしい少年時代に返りました。

野口英世のあゆみ

西暦年齢
18760福島県猪苗代町の農家に生まれる。(初めの名、清作)
187824月末、いろりに落ち左手に大火傷を負う。
18837三ツ和小学校(現翁島小学校)に入学。
188812生長(先生の代わりに教える)になる。(磐梯山大噴火)
189216会津若松の会陽医院長渡部鼎により左手の手術を受ける。
189317会陽医院に薬局生として入門。医学・英・仏語を学ぶ。
1895194月7日、日本基督教若松教会で洗礼を受ける。
1896209月上京。10月医術開業前期試験合格。11月、血脇守之助先生の厚意で、高山歯科医学院学僕となる。
18972110月医術開業後期試験に合格し、医師の資格を取る。 高山歯科医学院の講師となる。順天堂医院に勤務。
189822伝染病研究所助手となる。帰省中に英世と改名。
189923フレスキナー博士の通訳として東京を案内。横浜海港検疫所に検疫医官補として勤務。
190024横浜より渡米。
190125ペンシルベニア大学フレスキナー博士の助手となる。
190428ロックフェラー医学研究所の一等助手となる。
190731ペンシルベニア大学よりマスター・オブ・サイエンスの名誉学位を受ける。ロックフェラー医学研究所準正員。
191135京都帝国大学より医学博士の学位を授与される。梅毒スピロヘータの純粋培養に成功。メリー・ダージスと結婚。
191337麻痺狂及び脊髄癆患者の脳中にスピロヘータ・パリーダを検出発見。欧州各国の講演旅行に出発。
191438スウェーデンより勲三等を授与。東京帝国大学より理学博士の学位を授与。ロックフェラー医学研究所正員。
191539日本の帝国学士院より恩賜賞を授けられる。 9月5日、15年ぶりに帰国、各地で歓迎会が開催される。
191842エクアドルで黄熱病原体を発見、多大な賛辞を受ける。 11月10日、母シカ死去(66歳)
192347帝国学士院会員となる。
192549正五位に叙せられる。
192650オロヤ病原体を発表。
192751トラコーマ病原体を発表。10月アフリカへ黄熱病研究のため出張。
1928515月21日西アフリカ・アクラで黄熱病の研究中に感染し殉職。(ニューヨークのウッドローン墓地に埋葬)

リニューアルオープンした野口英世記念館のHP

関連PDF

下記にて野口英世関連のデジタルパンフレットをご覧頂けます。

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