猪苗代三十三観音札所 文化庁より「会津三十三観音」が日本遺産に平成28年4月25日に認定されました。 亀ヶ城公園 磐梯山南麓の泥流地形突端部に築かれた平山城で、中世この地を支配した猪苗代氏代々の居城でした。

  • 釜井の板碑

    <町指定文化財> 正和2(1313)年癸丑の紀年が記されています。

  • 三方石

    有栖川宮威仁親王殿下の没後、大正9(1920)年に威仁親王妃慰子殿下は、同殿下のご遺志に基づき天鏡閣北側の小高い山の上にある「三方石」と呼ばれるこの自然石に、内大臣秘書官日高秩父の書による「天鏡閣記」を刻ませられました。

  • 島田の板碑

    <町指定文化財> この板碑は島田の墓地に建立されています。

  • 楊枝一里塚

    <町指定史跡> 一里塚とは街道で一里ごとに道の両側に土を盛り、榎などを植えて距離を示す目印とした塚のことで、江戸幕府によって全国に設置されました。

  • 麓山神社左右大臣

    <町指定文化財> この二体の石像は向かって右が左大臣菅原道真公、左が右大臣藤原時平公で、江戸中期の石像です。

  • 猪苗代兼載の碑

    兼載は猪苗代少輔盛実の子として享徳元年(1452)猪苗代湖畔小平潟に生まれ、幼くして仏門に入り法号を興俊と呼びました。

  • 田中正玄の墓

    田中正玄は保科正之公の重臣であり、会津藩の家老を34年間、猪苗代城代を5年間務め藩の基礎を固めた人です。

  • 服部安休の墓

    織田信長の小姓森蘭丸の孫で、元和5(1619)年江戸に生まれ、幼くして林羅山について朱子学を修めました。

  • 天鏡台(昭和の森)

    磐梯山の南側の緩やかに広がる斜面にあるこの森林公園は、昭和45(1970)年5月全国植樹祭の会場になった時、昭和天皇・皇后両陛下のご臨席を仰いで催された植栽地です。

  • 十六橋水門・安積疎水

    【十六橋】 猪苗代湖に流れ込む川はたくさんありますが、流れ出る川は安積疎水ができるまでこの十六橋を通って会津盆地へと流れる日橋川だけでした。

  • 三忠碑・旧二本松街道

    【三忠碑】 <町指定史跡> 天正17(1589)年旧暦6月5日、伊達政宗は宿願の芦名の所領会津を攻略すべく磨上原に軍を進めました。

  • 御上覧場一里塚

    <町指定史跡> 会津における一里塚は、寛文7(1667)年から造れらるようになりました。

  • 観音寺山門

    <町指定重要文化財> 明治20(1887)年8月の火災で縁起などの文書が焼失したため、山門建立の詳細は不明になっていますが、入母屋形式の山門で正面に唐破風をつけた様式を残しており、江戸初期の建立と思われます。

  • 平盛胤の墓

    <町指定史跡> 亀ヶ城最後の城主十四代猪苗代盛胤の墓です。

  • 旧山内家住宅

    <町指定重要文化財> 十二間の桁に梁ゆき五間余り、会津藩制時代の農家住宅としては村役人層の住宅で、当時の農家機能や形態を知る上で重要な建物です。

  • 五輪塔

    <町指定重要文化財> 大小6基の五輪塔です。

  • 猪苗代三十三観音札所

    文化庁より「会津三十三観音」が日本遺産に平成28年4月25日に認定されました。

  • 亀ヶ城跡(亀ヶ城址公園)

    磐梯山南麓の泥流地形突端部に築かれた平山城で、中世この地を支配した猪苗代氏代々の居城でした。

  • 天鏡閣

    明治41年に建てられたルネッサンス洋風建築、有栖川威仁親王殿下ご別邸。

  • 迎賓館

    有栖川宮威仁親王妃慰子殿下の御保養のために、大正11年に建設された天鏡閣の離れにあたる日本間の別館です。洗練された建築をお楽しみ下さい。